馬場菊太郎(1905-2001)— 日本のウミウシ分類学を作った 72 年

馬場菊太郎(1905-2001)— 日本のウミウシ分類学を作った 72 年

2026年05月11日 ·

日本のウミウシ研究は、馬場菊太郎博士(ばば・きくたろう、1905-2001)から始まったと言ってよい。1928 年に最初の論文を発表してから 2000 年の最後の単著論文まで 72 年、240 篇を超える科学論文と 12 冊の単行本を遺し、新しい属を 20、科を 1 つ新たに立てている。当サイトに学名(種小名まで確定したもの)で登録されている公開種は 1,178 種。そのうち 165 種が馬場の手による命名であり、ダイバーや水族館来訪者にとっておなじみの種が多数含まれている。

本記事では馬場の生涯と仕事を、年代順 + 主要モノグラフ別に整理する。

プロフィール — 1905-2001

1905 年生まれ、2001 年没(96 歳)。若くして九州帝国大学農学部附属の 天草臨海実験所(熊本県・苓北町富岡)に所属し、ここで初期のウミウシ類研究を行った。戦後は 大阪学芸大学(現・大阪教育大学)の教授職を務めた。

主な専門は 海産後鰓類(こうさいるい、ウミウシ類)の分類だが、天草産の カセミミズ類(溝腹綱) の新種も記載しており、扱った範囲は後鰓類だけにとどまらない。後年は弟子・濱谷 巖(はまたに・いわお、旧字「濱」)との共著が増え、馬場名義の論文は没後の数年まで続いた(詳細は後述)。

72 年の研究活動

馬場の研究人生でもっとも目を引くのは、その活動期間の長さである。

  • 最初の論文発表 — 1928 年(23 歳)
  • 最初の新種記載 — 1930 年(25 歳)ミノウミウシ類Anteaeolidiella takanosimensis(高之島産)
  • 最初の新属設立 — 1930 年(25 歳)、ヲカダウミウシ属 Okadaia
  • 最初の新科設立 — 1931 年(26 歳)、ヲカダウミウシ科 Okadaiidae
  • 戦後の代表作 — 1949 年(44 歳)、岩波書店『相模湾産後鰓類圖譜』
  • 同補遺 — 1955 年(50 歳)、岩波書店
  • 最後の単著論文 — 2000 年(95 歳)
  • 最後の共著論文 — 2004 年(没後 3 年)、濱谷との共著 Aplysia extraordinaria

23 歳から 95 歳まで現役の分類学者として論文を書き続けたという活動期間は、日本の動物分類学者として極めて長い部類に入る。

オカダウミウシ Vayssierea felis
オカダウミウシ Vayssierea felis

1937 年「Opisthobranchia of Japan」(I) と (II) — 32 歳の総目録

馬場のキャリア前半でもっとも重要な仕事が、1937 年に九州帝国大学農学部紀要から発表した 「Opisthobranchia of Japan(日本産後鰓類)」(I) と (II) の 2 篇である。第 I 巻は頭楯類・嚢舌類・側鰓類など、第 II 巻は裸鰓類(ミノウミウシ類含む)を扱い、合わせて日本産後鰓類の総目録としての性格を持つ。

第 II 巻だけで 11 の新種、2 つの新亜種、2 つの代替名を含み、若くして日本各地の標本がすでに馬場の元に集まっていたことが分かる。両巻で立てられた学名のうち当サイトに登録されているものを、馬場が記載した当時の学名 + 和名で並べると:

属の組み合わせは戦後の系統研究で変わっているものを多く含む(例: 馬場の Tethys kurodai は現在 Aplysia kurodai、Glossodoris 系の多くは Hypselodoris / Goniobranchus / Thorunna などへ移動)。馬場 32 歳の段階で日本産後鰓類の主要な学名がこの 2 篇から一気に揃った。

このうち Aplysia kurodai は和名アメフラシで親しまれている磯の常連で、潮溜まりの観察対象として、また磯遊びでよく見かける大型の後鰓類として、日本ではもっとも広く知られた種のひとつである。アメフラシという和名自体は古くから使われていたが、この種に Aplysia kurodai という学名を与えたのが 1937 年の馬場である。

フジタウミウシ Polycera fujitai
フジタウミウシ Polycera fujitai
カドリナウミウシ Cadlina japonica
カドリナウミウシ Cadlina japonica

1949 年『相模湾産後鰓類圖譜』 — 皇室との連携

戦後 4 年の 1949 年、岩波書店から 『相模湾産後鰓類圖譜』 が刊行された。表紙には「生物學御研究所編」と記され、英文タイトルには「Collected by His Majesty the Emperor of Japan, described by Kikutaro Baba」とある。採集主は 昭和天皇で、葉山御用邸滞在中に相模湾頭の動植物を採集することを恒例にしていた。

刊行の体制は次のとおりである:

  • 採集 — 昭和天皇(江ノ島近海から城ヶ島沖、水深 300m 以上までボートで)
  • 寫生 — 生物學御研究所員の 眞田浩男加藤四郎
  • 編纂主任 — 服部廣太郎博士
  • 解説(記載) — 馬場菊太郎が単独で担当

皇室御研究所が責任編集して刊行された初期の事例のひとつであり、その解説を馬場が一手に担った。

本書には日本産後鰓類の主要な種が多数記載されており、当サイトに登録されている 1949 年付けの馬場記載種だけでも 40 種を超える。馬場が記載した当時の学名 + 和名で示すと、たとえば:

採用した分類体系について馬場は本書のなかで「主として Odhner(1934-1939) によっている」と明記している。スウェーデン王立博物館(Riksmuseum)の Nils Odhner の体系を、馬場が日本産種に適用するかたちで本書は組まれた。

リュウモンイロウミウシ Hypselodoris maritima
リュウモンイロウミウシ Hypselodoris maritima
ハナミドリガイ Thuridilla splendens
ハナミドリガイ Thuridilla splendens

1955 年『相模湾産後鰓類圖譜 補遺』

1949 年の本編に続いて、1955 年には岩波書店から 補遺が刊行されている。本編に収録されなかった種や、その後に新たに採集された種を扱う続編で、新種 13、日本未記録種 6、相模湾未記録種 11、計 37 種を収録。本編 + 補遺の 2 冊で相模湾産後鰓類の記録は 50 歳までに大きく充実したが、これで打ち止めになるわけではなく、馬場の新種記載活動はその後も 40 年以上続いた。

新しい属と科の設立 — 20 属 1 科

馬場の仕事は新種記載にとどまらない。新しい属や科という枠組み自体を立てる側としても、生涯で 20 属 1 科 を新設している。

特筆すべきは 25 歳で Okadaia(ヲカダウミウシ属)、26 歳で Okadaiidae(ヲカダウミウシ科)を立てている点。新種を記載するだけでなく、それらをまとめる新しい枠組み自体を作る側に、馬場はキャリア最初期から立っていた。1949 年の『相模湾産後鰓類圖譜』では同年に 6 属を一気に新設している。

1965 年(60 歳)には Sakuraeolis(桜)、Setoeolis(瀬戸)、Shinanoeolis(信濃) という 3 属を同時に新設。それぞれ桜・瀬戸・信濃の地名や植物名をラテン語化した属名で、現在も Sakuraeolis と Setoeolis はミノウミウシ類の分類で用いられている(Shinanoeolis は後の系統研究で Hermissenda 等に統合された)。

アカエラミノウミウシ Sakuraeolis enosimensis
アカエラミノウミウシ Sakuraeolis enosimensis

弟子・濱谷 巖との 41 年

馬場の研究人生の後半を語るうえで欠かせないのが、弟子の 濱谷 巖(はまたに・いわお、旧字「濱」)との関係である。

  • 1957 年 — 馬場が Elysia hamataniiハマタニミドリガイ)として濱谷に種を命名(濱谷 30 代前半)
  • 1961 年 — 濱谷が泉南高校教諭時代に大阪湾・淡輪で採集した個体を Okenia babai として馬場に命名。原記載の謝辞で「大阪学芸大学の馬場菊太郎博士が、本研究を始めるよう励ましてくれ、同定のために自分の論文別刷コレクションを快く貸してくれた」と師弟関係を明示
  • 1976 年 — 濱谷が天王寺高校教諭時代に与論島で採集した個体を Cyerce kikutarobabai として馬場の 70 歳の誕生日記念で命名。姓だけでなく名(kikutaro)まで含めて種小名にしている、フルネーム型の命名
  • 1995 年以降 — 馬場・濱谷の共著論文が増加。馬場が高齢になっても研究室での観察と濱谷との議論を続けていた
  • 2002 年 — 馬場 没後 1 年、濱谷が Venus 誌で 馬場追悼号「Malacological Contributions of Dr. Kikutaro Baba (1905-2001)」を編纂。240 篇以上の論文・著書リストと、馬場が立てた supraspecific taxa のリストを網羅した、馬場研究を辿る一次資料となっている
  • 2004 年 — 濱谷との共著 Aplysia extraordinaria(馬場の最後の論文)

1957 年に始まり 2004 年まで続いた両者の協力関係は、半世紀近くにわたって日本のウミウシ研究の現場を支えた。

コハナイバラウミウシ Okenia babai
コハナイバラウミウシ Okenia babai

没後の影響 — Baba を冠した 3 つの属

馬場の姓を含む属名は、20 世紀の後半に世界の研究者から 3 度独立に立てられている:

  • Babaiella Risso-Dominguez, 1964 — type 種は馬場 1949 年の Babaiella serrata(= 現 Phyllodesmium serratum サガミミノウミウシ)。1981 年に Rudman により Phyllodesmium Ehrenberg, 1831 と同物異名と判定され、現在は無効
  • Babaina Odhner in Franc, 1968 — イロウミウシ科の属として、馬場 1949 年の florens 種(ハナイロウミウシ)を type に指定して立てられた。後の系統研究で Thorunna Bergh, 1878 に統合され、現在 Babaina Odhner は無効
  • Babaina Roller, 1972 → Babakina Roller, 1973 — 米国 Arkansas の Richard A. Roller が、北米西海岸産のミノウミウシ類 3 新種に対して、馬場の業績への敬意として新属 Babaina を立てた。ところが翌 1973 年、Odhner も独立に Babaina(1968)を立てていたことが判明し、ICZN の先取権規則により Roller の方は無効化。Roller は語末の "i" を "k" に変えて新たに Babakina を提案し、現在に至る

3 つのうち Babaiella は Phyllodesmium へ統合、Babaina Odhner は Thorunna へ吸収されており、現在も有効に使われているのは Babakina(ババキナ)のみ。当サイトには Babakina indopacificaGosliner ら、2007)と Babakina festiva(Roller、1972)の 2 種が登録されている。

馬場の姓が独立に 3 度、属レベルで命名されたことは、20 世紀後半の後鰓類分類学において馬場の業績がいかに広く知られていたかの一側面を示している。

サガミミノウミウシ Phyllodesmium serratum
サガミミノウミウシ Phyllodesmium serratum

締め

馬場の手による命名は今もそのまま使われている。WoRMS(世界海洋生物種登録)でも、当サイトでも、種ページの author 欄に「Baba, 1937」「Baba, 1949」「(Baba, 1965)」と並ぶ。日本のフィールド図鑑、水族館の解説、ダイビング雑誌の同定キャプション ── 21 世紀の現場でこれらの学名は日々参照されている。

磯でアメフラシを見るとき、Aplysia kurodai という学名はすでにそこにある。1937 年に 32 歳の研究者が観察して書いた記述が、今も変わらずその種を世界に位置付けている。

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