テリー・ゴスライナーとは — Indo-Pacific ウミウシ図鑑の "Gosliner" は誰か

テリー・ゴスライナーとは — Indo-Pacific ウミウシ図鑑の "Gosliner" は誰か

2026年05月19日 ·

テリー・ゴスライナー博士(Dr. Terrence M. Gosliner)は、カリフォルニア科学アカデミー(CAS)の主任学芸員で、Indo-Pacific のウミウシ分類学を率いている。高校時代の 1975 年に最初の新種を記載してから半世紀がたつ。その間に CAS で「Slug Lab」という研究グループを立て、世代を超えてウミウシの新種記載を続けてきた。当サイトに学名で登録された 1,178 種のうち、220 種にゴスライナーの名が著者として並ぶ。

ダイバーが Indo-Pacific のウミウシ図鑑を開けば、ほぼ毎ページに「Gosliner」の名前が出てくる。著者として、共著者として、種の同定者として名前が並ぶ。彼は、いま動いているウミウシ分類学の中心にいる人物だ。この記事では、Gosliner と Slug Lab を、その仕事と引き継がれ方から見ていく。

プロフィール:主任学芸員と Slug Lab

カリフォルニア科学アカデミー(California Academy of Sciences, 略称 CAS)の主任学芸員(Senior Curator of Invertebrate Zoology and Geology)。CAS でゴスライナーが率いるウミウシ研究グループは、本人たちが「Slug Lab」(sluglab.wordpress.com)と名乗っている。

代表作の図鑑類:

  • 『Nudibranchs of Southern Africa』(Gosliner, 1987):1980 年代の南アフリカ・モザンビーク沿岸後鰓類の包括的図鑑
  • 『Indo-Pacific Nudibranchs and Sea Slugs』(ゴスライナー・ベーレンス・バルデス、2008):2000 年代のインド・太平洋海域後鰓類の世界標準モノグラフ
  • 『Nudibranch and Sea Slug Identification — Indo-Pacific』(ゴスライナー・バルデス・ベーレンス、2015 初版 / 2018 第 2 版):Slug Lab の現場調査と記載仕事を反映した、現在のインド・太平洋ウミウシ同定の標準書
  • そのほか共著で多数の系統レビュー論文

1975 年から続く半世紀のキャリア

ゴスライナーのキャリアは、いまも現役で動いている。

  • 1975 年:最初の新種記載(Hallaxa chani、Gary Williams と共著。高校時代に採集した個体に基づく)
  • 1978 年:PhD 取得(University of New Hampshire)
  • 1982 年:CAS 加入(Assistant Curator)
  • 1987 年:『Nudibranchs of Southern Africa』刊行
  • 1999 年:Hypselodoris の系統レビュー(Gosliner & Johnson)
  • 2008 年:『Indo-Pacific Nudibranchs and Sea Slugs』刊行
  • 2026 年:当サイト最新登録のゴスライナー関与種

高校生時代に始まったキャリアは、博士課程の学生・若手研究者・各国の共同研究者を巻き込みながら、いまも続いている。

エマイロウミウシ Hypselodoris emma
エマイロウミウシ Hypselodoris emma

1987 年『Nudibranchs of Southern Africa』

ゴスライナーのキャリア前半でもっとも重要な単独著書が、1987 年刊行の『Nudibranchs of Southern Africa』だ。南アフリカ・モザンビーク沿岸の後鰓類を網羅した図鑑で、当時の南アフリカ博物館(現 Iziko 南アフリカ博物館)の所蔵標本を主資料に整理された。

Slug Lab を本格的に組織化する前、研究者としての土台を固めた仕事だ。

クロモドーリス・コイテリ Chromodoris kuiteri
クロモドーリス・コイテリ Chromodoris kuiteri

2008 年『Indo-Pacific Nudibranchs and Sea Slugs』

ゴスライナーがベーレンス(David W. Behrens)・バルデス(Ángel Valdés)と共著で 2008 年に刊行した『Indo-Pacific Nudibranchs and Sea Slugs』は、フィリピン・インドネシア・パプアニューギニアなどインド・太平洋海域の後鰓類を、写真と分類記述で網羅した大型モノグラフになっている。

刊行当時、日本でもコアな愛好家は本書を手元に置いていて、世界標準の参照書という地位はすでに固まっていた。種ごとの分布・色彩変異・近縁種との見分けまで整理された、2000 年代のインド・太平洋ウミウシ学の到達点だった。

キッカミノウミウシ Phyllodesmium magnum
キッカミノウミウシ Phyllodesmium magnum

2015 / 2018 年『Nudibranch and Sea Slug Identification — Indo-Pacific』

2008 年のモノグラフから 7 年後、ゴスライナーはバルデス・ベーレンスと再び組み、『Nudibranch and Sea Slug Identification — Indo-Pacific』(New World Publications)を 2015 年に刊行した。2018 年には第 2 版を出している。

この本がそれまでの図鑑と違うのは、掲載種のほとんどを Slug Lab とその国際共同研究網が自分たちで採集し、論文として記載してきた点だ。写真を並べた図鑑ではなく、一種ごとに標本・分子・形態のデータが裏づけになっている。世界共通の「正解」というより、Slug Lab が見ている世界を標準として外に出した本だ。

2008 年版から分類体系も収録種数も大きく広がり、約 450 ページの大冊になった。現場で軽く持ち歩くサイズではなく、棚に置いて引くか、遠征に「重いけど持っていく」たぐいの本だが、インド・太平洋でウミウシを同定するときの第一参照点として、ダイバー・愛好家・研究者に共有されている。

レンゲウミウシ Mexichromis multituberculata
レンゲウミウシ Mexichromis multituberculata

World Sea Slug Day(10 月 29 日)

ゴスライナーの影響は学術の世界だけにとどまらない。毎年 10 月 29 日に世界中のダイバー・写真家・愛好家が SNS でウミウシの写真を投稿する「World Sea Slug Day(世界ウミウシの日)」は、ゴスライナー博士の誕生日にちなむ。2015 年に CAS の棘皮動物学者 Chris Mah が自身のブログ Echinoblog で「October 29 = Sea Slug Day」と提唱したのが、この記念日が SNS に定着するきっかけになった。

ひとりの研究者の誕生日が世界規模の SNS イベントになっているのは、彼の仕事が学術の外、ダイバーや市民科学者のところまで届いているからだ。

アカフチリュウグウウミウシ Nembrotha kubaryana
アカフチリュウグウウミウシ Nembrotha kubaryana

Slug Lab という育成パイプライン

Slug Lab はゴスライナーが CAS に立ち上げた後鰓類研究グループで、その実態は何世代にもわたる研究者育成のパイプラインだ。サンフランシスコ州立大学(SFSU)の修士課程をゴスライナーが指導し、博士はスペイン・コスタリカ・米国の各大学で取り、CAS にポスドクで戻り、その後で世界各地に散って PI(独立した研究室の主宰者)になる。これが典型的な進路である。

サイトに挙がっている卒業生(Alumni)の名前を眺めると、現代の opisthobranch 分類学を回している主要研究者の多くが Slug Lab を経由していることが分かる。

スペイン軸(Slug Lab の最大の海外拠点):

  • マルタ・ポラ(Marta Pola):マドリード自治大学(UAM)で博士、CAS でポスドク、その後 UAM に戻り PI。スペインで弟子(後述の Paz-Sedano)を育てている
  • レイラ・カルモナ(Leila Carmona):カディス大学(スペイン)で博士。Slug Lab graduate

米国・他国:

  • ベノワ・ダイラ(Benoit Dayrat、フランス出身、現 Penn State)
  • モニカ・メディナ(Monica Medina、現 Penn State)
  • ヨランダ・カマチョ(Yolanda Camacho、コスタリカ大学で博士)
  • レベッカ・ジョンソン(Rebecca Johnson、SFSU 修士・UCSC 博士・CAS ポスドク、現 CAS スタッフ。1999 年の Hypselodoris monograph 共著)
  • シリーン・フェイヒー(Shireen Fahey、クィーンズランド大学博士、SFSU 修士)

近年の Slug Lab graduate(当サイト author 欄に登場):

  • Sam Donohoo:Avaldesia 属(Donohoo & Gosliner, 2024)など
  • Dimitri Smirnoff:Trapania 系新種記載(Smirnoff, Donohoo & Gosliner, 2022 で当サイト登録 8 種)など
  • Jamie Chan:Thordisa 系(Chan & Gosliner, 2007)など

これらの卒業生は、出身国や所属先に戻ったあとも Slug Lab とのつながりを保ち、合同で論文を出し続ける。たとえば 2022 年の Murphydoris 4 新種記載は、Paz-Sedano(Pola の弟子)+ Smirnoff(Slug Lab)+ Candás(スペイン)+ Gosliner + Pola の共著で、CAS とマドリードを往復しながら書かれた。Slug Lab の弟子が育てた弟子(孫弟子)が、もう論文に名前を出している。

当サイトに学名(種小名まで確定したもの)で登録された公開種 1,178 種のうち、220 種にゴスライナーの名が著者として入る。この数字はゴスライナー個人の業績というより、半世紀近くのあいだに Slug Lab を通り抜けた研究者たちが積み上げた仕事の量を映している。いまのインド・太平洋のウミウシ分類学を回しているのは、ゴスライナーひとりではなく、彼が立てた育成パイプラインのほうだ。

ヒュプセロドーリス・キャサリナエ Hypselodoris katherinae
ヒュプセロドーリス・キャサリナエ Hypselodoris katherinae

2021-2024 年、イバラウミウシ科を 4 年で再編

Slug Lab とその国際共同研究網が回している仕事の規模が一番はっきり出ているのが、2021 年から続くイバラウミウシ科(Goniodorididae 科)の連続記載である。科を構成する複数の属を、4 年かけて順に分子・形態の両面から系統を組み直し、そのたびにまとまった数の新種を立ててきた。

  • 2021 年:Ceratodoris 3 新種(Paz-Sedano & Pola)
  • 2022 年:Trapania 9 新種(Smirnoff, Donohoo & Gosliner)+ Murphydoris 4 新種(Paz-Sedano, Smirnoff, Candás, Gosliner & Pola)
  • 2023 年:Goniodoridella 3 新種(Paz-Sedano, Ekimova, Smirnoff, Gosliner & Pola)+ Pelagella 6 新種(Paz-Sedano, Smirnoff, Gosliner & Pola)
  • 2024 年:多属同時記載で Naisdoris 3 種 + Trapania franae + Ceratodoris trypomandyas + Murphydoris polkadotsa(Paz-Sedano, Cobb, Gosliner & Pola, Zootaxa 5443)。同年、これらをまとめる系統解析論文(Paz-Sedano, Moles, Smirnoff, Gosliner & Pola 2024、Molecular Phylogenetics and Evolution 192: 107990)も刊行され、4 年に及ぶ Goniodorididae 再編が一区切りついた

論文レベルで数えると、4 年で 7 つの属にまたがって 30 種以上の新種が立った計算になる。この規模の連続記載は、複数の継続的な共著チーム(Slug Lab graduate + UAM Pola 系 + 各国の collaborator)と、長く蓄積された標本コレクションが揃って初めて回せる。ほかのチームではなかなか出せない量だ。

記載者リストを横並びで眺めると、Slug Lab graduate(Smirnoff、Donohoo)、Pola を中心とするスペイン軸(Paz-Sedano、Candás)、ロシアの Ekimova、英国の Cobb と、ゴスライナーを起点にした国際的な共著者が次々に顔を出す。Slug Lab と卒業生たちのネットワークは、ひとつの科を 4 年でまるごと整理し直すレベルで動いている。

ゴニオブランクス・ダプネ Goniobranchus daphne
ゴニオブランクス・ダプネ Goniobranchus daphne

締め

ゴスライナーの仕事は、書店に並ぶインド・太平洋のダイビング図鑑の権威として、また当サイトの種ページの author 欄に並ぶ「Gosliner, 2008」「Donohoo & Gosliner, 2024」として、いまも増え続けている。

半世紀以上前にひとりの高校生として始まった活動は、現役のラボとしての継承構造を持ち、Slug Lab の卒業生たちが世代交代しながら新種記載を生み出している。Indo-Pacific のウミウシの学名はこれからも増えていく。そのかなりの割合は、Slug Lab を経由したものになるはずだ。

関連記事として、戦前から戦後にかけて日本の opisthobranch 分類学の骨組みを作った馬場菊太郎博士の人物伝もあわせて読むと、20 世紀後半から現代へつながる研究者ネットワークの両端が見える。

ドーナツマツカサウミウシ Doto greenamyeri
ドーナツマツカサウミウシ Doto greenamyeri

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