ウミウシとは — 9 目から 12 分類群へ、『うみうし学』から 25 年の分類史
ウミウシとは?
2000 年、平野義明さんの『うみうし学 — 海の宝石、その謎を探る』(東海大学出版会)が刊行された。ウミウシの名を書名に据えた学問書、という当時としては珍しい一冊だ。
この本の冒頭で、平野さんは「うみうし」という語の系譜をすでに整理していた。藤田經信さんが 1892 年に始めた連載を学問の世界での「うみうし」使用の最初と位置づけ、後鰓類を 9 つの目に列挙する形で「ウミウシ類」が指す範囲を定義した。裸鰓目を「ウミウシの中のウミウシ」と呼び、分類体系が動き始めていることにも触れている。
それから四半世紀。「ウミウシ」を支えていた枠組みのいくつかは本当に動いた。本稿は、平野さんが描いた 2000 年のウミウシ像から現在までの間に何が起きたかを辿る。
『うみうし学』(2000) が書いた「うみうし」の系譜
起源: 藤田經信 1892
「うみうし」は 1892 年から 3 年間に 3 編の論文にかけ、藤田経信という学者によって記載されたらしい九種である。ただし、これが公式に (?) 「うみうし」の四文字が学問の世界で使われはじめた最初で、以来、この呼び名は今日まで踏襲されてきたようだ。
— 平野義明『うみうし学』(2000, 東海大学出版会) 第 1 章
藤田經信さんは動物学雑誌に 1892 年 9 月から 1894 年 1 月まで「相州三浦三崎近傍ノ隱鰓うみうし科」という連載を続けた。青うみうし、白うみうしから始まって、梨子地、小紋、更紗、錦、くもがた、ねず、にくいろ、と9 種類の和名を新称している。
後鰓類 = 9 目の列挙
平野さんは、「ウミウシ」として扱う範囲を次の 9 目で定義している。
当時の後鰓類(Opisthobranchia)の下に並ぶ目を、そのまま「ウミウシ類」として列挙する。後鰓類という正式分類群に全体を任せつつ、ウミウシという語が指す範囲を示すときには目の羅列で応える。この「列挙定義」のアプローチは、2000 年の時点ですでに採用されていた。
裸鰓目 =「ウミウシの中のウミウシ」
まさしく、これこそ、「ウミウシ」の中のウミウシ、藤田経信によって記載された九種のウミウシたちが含まれる分類群である。
— 平野義明『うみうし学』(2000) 裸鰓目 Nudibranchia の項
広義の「ウミウシ=後鰓類 9 目」と、その中核を成す狭義の「ウミウシ=裸鰓目」。この二段構えも、平野さんは明示的に書いていた。
分類体系の地殻変動、すでに察知
後鰓類は、長い間、軟体動物腹足綱(巻貝類)の三つの亜綱のひとつ、後鰓亜綱として分類されてきた。しかし、最近の分類学の著しい進歩によって、腹足綱の分類体系が大幅に変更され、下位の階級に格下げされることになった。新体系では、後鰓類は、直腹足亜綱の異鰓上目の中に、その一グループとして含められる。しかし、分類階級が変わっても、そのメンバーは、ほとんど変わらない。
— 平野義明『うみうし学』(2000)
2000 年時点で、平野さんは分類学側の地殻変動をすでに察知していた。ただしその時点では「メンバーは変わらない」としており、分類階級の格下げとして受け止められている。「メンバー自体が再編される」事態は、この後に起きる。
2005 — Bouchet & Rocroi、最初の大きな波
Bouchet と Rocroi(パリ自然史博物館)が 2005 年に公表した Classification and Nomenclator of Gastropoda Families は、分子系統解析を本格的に取り入れた最初の大規模な腹足類分類再編だった。ここで、コンシボリガイ・ベニシボリ・ミスガイのような殻を持つ後鰓類の一部が、「異旋目(貝の仲間)」として後鰓類から切り離される動きが起きる。平野さんが書いた 9 目のうち、いくつかのメンバーが「ウミウシではなく貝」側に動いたわけだ。
ただし、この再編が日本のウミウシ図鑑の現場にすぐ浸透したわけではない。次節で見る 2016 年の当サイトの記事には、その混乱期の現場の空気がそのまま残っている。
2016 — 境界に居る者たち
その記事は、今川さんによる「ウミウシと貝の境界に居る生物たち」(当サイト blog、2016 年 1 月)だ。引用する。
以前は、コンシボリガイやベニシボリ、ミスガイなども頭楯目のウミウシとしてウミウシの図鑑に掲載されていました。
しかし、パリ自然史博物館の Bouchet と Rocroi らが 2005 年に公表した Classification and Nomenclator of Gastropoda Families では、これらは異旋目(貝の仲間)として扱われることになりました。
しかし、これらの動物を頭楯目からは独立させているものの、後鰓類(ウミウシの仲間)にとどめている研究者も居ます。
貝なのか? ウミウシなのか? 答えが出るまでにはまだしばらく時間がかかりそうです。
世界のウミウシも、皆様のリクエストが多かった事から、かつてウミウシとされてきたオオシイノミガイ上科やマメウラシマガイ上科の生物も異旋下綱という階級下で扱う事にしました。
— 世界のウミウシ blog「ウミウシと貝の境界に居る生物たち」2016 年 1 月(著者: 今川さん)
分類学側で「貝かウミウシか」が揺れていた時期も、「世界のウミウシ」としては広義のウミウシとして扱う立場が、ここですでに表明されている。以後、当サイトでの扱いはずっと変わっていない。
2018 — 中野理枝『日本のウミウシ』
1990 年代より分子系統解析という新しい分類手法が採用されるようになり、Bouchet & Rocroi (2005) によって形態による分類体系は解体された。前鰓類はより細分化されることで消失し、後鰓類という語だけが後に残された。
その後も多くの研究者により様々な分類体系が提唱された。本書の執筆中にも分類体系が何度か変わった。最も大きな変更は、ウミウシを示す学術用語である Opisthobranchia 後鰓類が無効とされ、代わって Euthyneura 直神経類という語が再び採用されたことだろう。
本書の分類体系は 2018 年 2 月時点の World Register of Marine Species (WoRMS) を典拠としているが、1 年後にはすっかり様変わりしている可能性もゼロではない。
— 中野理枝『日本のウミウシ』2018 年、分類章より
中野さんは「本書の分類体系は 2018 年 2 月時点の WoRMS 典拠」と明記し、過渡期の本であることを自分から書いている。学術用語としての後鰓類 (Opisthobranchia) は無効化され、代わりに直神経類 (Euthyneura) が採用された — それを踏まえた上で、中野さんは「後鰓類ではなく直神経類と呼ぶべきかもしれないが、本書は一般向けの図鑑なので『ウミウシ』という語のみを用いても特に支障はきたさないと判断した」と書いている。
2019 — 論文ごとに「ウミウシ類」を定義する
広義のウミウシを括っていた正式分類群(後鰓類)が消えた状況で、研究者はどうするか。一つの応えが、柏尾翔さん「大阪湾の干潟域にすむウミウシ類:希少種とその保全について」(うみうし通信 105 号、2019 年 12 月)の冒頭脚注だ。
*1: ここで言うウミウシ類とは、奥谷(2017)の示す裸鰓目、真鰓目、汎布肺目嚢舌亜目(フタマツイ上科、トウガタガイ上科を除く)、スナウミウシ亜目を指す。
— 柏尾 2019(うみうし通信 105 号)
論文で「ウミウシ類」と書いたときに指す範囲を、論文の冒頭で目を列挙して定義する、というやり方だ。平野さんも 9 目で範囲を示していた点では同じだが、当時は「後鰓類」という正式分類群が背後にあって、「後鰓類として分類されてきた動物」と一語で言えば指す範囲が確定した。後鰓類が正式分類群でなくなった今は、その一語に頼ることができない。柏尾さんは「ウミウシ類」を扱う論文の冒頭で必ずこの脚注を書いている — 後鰓類抜きで範囲を確定させるための、避けて通れない手続きとしてだ。
2025 — 9 目から 12 分類群へ
和名の整理を共同作業として進めるには、まず「ウミウシ類」として扱う範囲を、参加者のあいだで共有しておく必要がある。
2025 年 5 月、有志による「日本産ウミウシ類和名目録作成プロジェクト」(柏尾翔・木元伸彦・西田和記・前田太郎・佐藤宏樹)が立ち上がった。和名整理の対象範囲を 12 分類群として定義し、これに沿って和名の整理を進めている。範囲の定義は福田 (2021) の示す 10 目に、異形目ロドペー上科と、Korshunova et al. (2025) によるドーリス目分離を加えた構成で、あくまで PJ 内の作業範囲の定義として運用されている。
12 分類群は以下である。
- 異形目ロドペー上科
- オオシイノミガイ目 — ミスガイ、ベニシボリ、コンシボリガイなど(当サイト内部の category tree では「準綱」階級で扱う)
- マメウラシマ目
- フシエラガイ目
- ドーリス目 — アオウミウシ、サガミリュウグウウミウシなど
- 裸鰓目 — ミノウミウシ、アカエラミノウミウシなど
- ヒトエガイ目
- 頭楯目 — ブドウガイ類、カラスキセワタなど
- アメフラシ目 — アメフラシ、タツナミガイなど
- 翼足目 — ミジンウキマイマイなど
- スナウミウシ目
- 嚢舌目 — コノハミドリガイ、ゴクラクミドリガイなど
平野さんの 9 目と、柏尾さんたちの 12 分類群。数で 3 つ増えているが、「新しく 3 目見つけた」わけではない。分子系統学の進展で旧裸鰓目の内部が整理され直し、ドーリス目(Doridida)と裸鰓目(Nudibranchia, sensu stricto)が別の目として扱われるようになった、マメウラシマ目(Ringipleurida)のような独立目の認知が進んだ、といった構造再編の結果である。括るラベル(後鰓類)が消えた後も、実務として「ウミウシ類」と呼ばれる対象群を保ち続けるために、正式分類群抜きの列挙定義が採用されている。
狭義のウミウシも、実は動いている
ここまでの話は主に「広義のウミウシ(後鰓類相当)」の運命だった。では、平野さんが「ウミウシの中のウミウシ」と呼んだ狭義のウミウシ(裸鰓目)はどうか。
前章の 12 分類群リストで、ドーリス目と裸鰓目が別の目として並立していたことを思い出してほしい。これは、Martynov & Korshunova (2025) が従来の裸鰓目をドーリス目と裸鰓目 (sensu stricto) の 2 つに分ける再編を出したのを、和名目録 PJ がそのまま取り込んだ結果だ(詳細は別記事)。平野さんが「ウミウシの中のウミウシ」と呼んだ単一の裸鰓目は、すでに 2 つの目に分かれて扱われ始めている。
平野さんが残した問いのその後
振り返ると、平野さんは 2000 年の『うみうし学』で当時の「ウミウシ」をめぐる認識を整理して書き残してくれた。広義は後鰓類の 9 目、狭義は裸鰓目という二段構え。分類体系の地殻変動がすでに始まりつつあったことにも触れている。
その四半世紀で動いたのは、平野さんの想定より大きかった。
- 後鰓類という「広義を括っていたラベル」が正式分類群から消えた
- 代わりに、目の列挙で広義を示す実務(柏尾 2019、柏尾ほか 2025)が必要になった
- 広義が指す範囲は 9 目から 12 分類群へ細分化された
- 狭義の裸鰓目自身も、Martynov & Korshunova 2025 によってドーリス目/裸鰓目の 2 目並立が提案され、和名目録 PJ もこれを採用
それでも、「ウミウシ」という言葉自体は生き残っている。後鰓類は消え、目の編成は再編され、裸鰓目の内部にも分割提案が入り込んだ。それでもこの 4 文字は、浜辺で拾う人にも、海の中で見る人にも、図鑑で調べる人にも、論文で書く人にも、変わらず通用する。ウミウシがそもそも分類学の言葉ではなかったからだろう。
主な引用文献
- 平野義明(2000). うみうし学 — 海の宝石、その謎を探る. 東海大学出版会, 222 pp.
- 藤田經信(1892-1894). 相州三浦三崎近傍ノ隱鰓うみうし科. 動物学雑誌 4(47), 5(53), 5(55), 5(57), 6(63).
- Bouchet P. & Rocroi J.-P. (2005). Classification and Nomenclator of Gastropoda Families. Malacologia 47(1-2).
- 今川(2016). ウミウシと貝の境界に居る生物たち. 世界のウミウシ blog, 2016 年 1 月.
- 中野理枝(2018). 日本のウミウシ. 文一総合出版.
- 柏尾翔(2019). 大阪湾の干潟域にすむウミウシ類:希少種とその保全について. うみうし通信 105 号.
- 福田宏(2021). Biology and Evolution of the Mollusca で提唱された軟体動物の分類体系と和名の対応. Molluscan Diversity 6(2): 89-180.
- Martynov A. & Korshunova T. (2025). Hidden diversity of the North Pacific prompts reorganization of the taxonomic system. Moscow: Neptune, 48 pp.
- 柏尾翔・木元伸彦・西田和記・前田太郎・佐藤宏樹(2025-). 日本産ウミウシ類の和名目録作成に向けた取り組み(進行中).
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