高岡生物研究会 — 中部日本海沿岸産後鰓類を 50 年追い続けたアマチュア研究集団
日本のウミウシ分類学を語るとき、研究者の名前としては 馬場 菊太郎 や 濱谷 巖 が前面に出るが、その背後で「中部日本海沿岸産後鰓類」というローカルな地理的まとまりを 50 年以上にわたって体系的に観察し続けたグループがある。それが富山県高岡市を本拠とする 高岡生物研究会(Takaoka Biological Club, TBC)である。
母体は 1950 年の富山県立高岡高校生物クラブ。1953 年に卒業生が結成した同窓会組織を経て 1964 年に「高岡生物研究会」と改称、青森から島根隠岐に及ぶ 170 地点・1,500 回を超える観察記録を残し、富山湾・能登半島・若狭湾・越前海岸を模式産地とする多数の新種記載を支えてきた。本記事では、TBC の歩みと、ここから生まれた中部日本海ゆかりの種を整理する。
1950 年・虻が島から始まった
研究のきっかけは 1950 年夏、高岡高校生物クラブが富山湾の小島 虻が島(あぶがしま)で「富山湾産後鰓類の研究」を開始したことに遡る。提唱者は同校教諭の 堀 謙三博士(ほり・けんぞう)。同じ年、岩波書店から 相模湾産後鰓類圖譜(生物學御研究所編、馬場菊太郎解説)が刊行されたばかりで、太平洋側の相模湾と対比できる日本海側の調査対象として、虻が島の磯が選ばれた格好だ。
翌 1951 年からは大阪学芸大学(当時)の馬場菊太郎博士による直接指導が始まる。北陸の高校生たちが採集した標本を関西の馬場研に送り、同定と記載の指導を仰ぐ — この師弟関係が、ここから半世紀続くことになる。馬場の指導歴については 馬場菊太郎博士の記事 も参照されたい。
1957 年・第 1 回日本学生科学賞 内閣総理大臣賞
高岡高校生物クラブによる富山湾後鰓類調査は、1957 年に開催された第 1 回 日本学生科学賞 で 内閣総理大臣賞 を受賞している。当時の指導教諭 安部 武雄(あべ・たけお)はその後、1958 年と 1969 年の二度にわたり後鰓類標本・研究資料を天覧(天皇への御覧)に供する役を務め、その都度自身が御説明を担当した。アマチュア・グループの活動として極めて高い社会的評価を受けていたことが分かる。
オピスタ・クラブから高岡生物研究会へ — 1953-1964
1953 年、生物クラブの卒業生有志が「オピスタ・クラブ」(後鰓類 Opisthobranchia のラテン語名にちなむ)を結成し、母校の現役クラブとは別に独自の調査活動を始める。1957 年の 舳倉島(へぐらじま、能登半島沖の離島)調査を皮切りに、夏季の合宿型後鰓類観察会が始まり、2004 年の越前岬まで 第 43 回 を数えた。
1964 年に北隆館から 富山湾産後鰓類図譜(高岡高等学校生物研究会編、馬場監修)を刊行したのを機に、組織名を現在の 高岡生物研究会 に改める。129 種を掲載した本書は、太平洋側の 相模湾産後鰓類圖譜 と対をなす日本海側の最初期の体系的な後鰓類図鑑として位置付けられる。
機関誌『JANOLUS』 — 1967 年創刊
1967 年、TBC は機関誌 『JANOLUS』(ヤノルス)を創刊した。誌名は馬場・安部が同年代に新属として立てつつあった Janolus(コヤナギウミウシ属系)への参照で、各号には毎号の観察記録、調査研究の中間報告、会員相互の意見交換が掲載されてきた。1999 年に 第 100 号 を迎え、これを「後鰓類研究 50 周年記念号」として、過去 50 年の調査データを集約した「中部日本海沿岸産後鰓類目録」を収録している。
CD 図鑑『日本海のウミウシ』 — 2000 / 2002 年
1990 年代後半、TBC は累積した観察記録と写真資料のデジタル化に着手する。1997 年からスライド・ポジフィルムのスキャンを開始し、1999 年 8 月の 50 周年記念観察会(虻が島)でダイジェスト版を公開、2000 年 12 月に CD 図鑑『日本海のウミウシ』初版(英文タイトル Sea Slug from the Japan Sea coasts of Middle Japan、192 種)を完成させた。2001 年には ISO 9660 版および会員配布版を経て、2002 年 12 月に 第 2 版(209 種) を刊行している。
当サイトでは、この CD 図鑑第 2 版を文献 ID として登録しており、『日本海のウミウシ』に掲載されているウミウシ一覧 として species ページから辿れるようになっている。
1997 年・とやま環境賞 最優秀活動賞
長年の活動が評価され、1997 年 1 月に魚津水族館で「うみうし展」を開催(後鰓類の系統・種類・生態・研究史を一般向けに紹介)、同年 3 月に 第 1 回とやま環境賞 最優秀活動賞 を受賞している。後鰓類のような一般には地味な分類群を、地域の自然保護意識と結び付けて社会に発信し続けた成果といえる。
中部日本海ゆかりの新種記載 — 模式産地
TBC が採集・観察した個体に基づいて、馬場とその共同研究者(安部 武雄、時岡 隆、川口 四郎ら、後年は濱谷 巖)が記載した新種は数多い。地名献名と人名献名に分けて主要例を挙げる。
地名献名(中部日本海の地名がそのまま種小名に)
- Aplysiopsis toyamana(トヤマモウミウシ)— Baba, 1959 記載。模式産地は富山湾虻が島(1952 年初記録)。種小名 toyamana は富山湾に由来
- Janolus toyamensis(コヤナギウミウシ)— Baba & Abe, 1970。富山湾中田(1960 年初記録)
- Janolus mirabilis(カラジシウミウシ)— Baba & Abe, 1970。富山湾虻が島(1958 年初記録)
- Hermaea noto(ノトアリモウミウシ)— Baba, 1959。能登半島宇出津(1953 年初記録)。種小名 noto は能登半島に由来
- Mariaglaja tsurugensis(ミョウジンツバメガイ)— Baba & Abe, 1959 記載(原記載は Chelidonura tsurugensis)。敦賀湾明神崎(1956 年初記録)
- Paradoris tsurugensis(ツルガウミウシ)— Baba, 1986。敦賀湾岡崎(1961 年初記録)
- Favorinus tsuruganus(ツルガチゴミノウミウシ)— Baba & Abe, 1964。敦賀湾水島(1956 年初記録)
- Eubranchus echizenicus(アカボシミノウミウシ)— Baba, 1975。越前海岸小丹生(1973 年初記録)。種小名 echizenicus は越前海岸に由来
- Eubranchus mimeticus(ツマグロミノウミウシ)— Baba, 1975。越前海岸小丹生(1973 年初記録)
人名献名(被献名者は中部日本海の調査関係者)
- Eubranchus horii Baba, 1960(ホリミノウミウシ、現 Nihonbranchus horii)— 馬場が、富山湾後鰓類研究の提唱者である高岡高校教諭 堀 謙三 に献名。模式産地は富山湾虻が島(1951 年初記録)
- Polycera abei(コソデウミウシ)— Baba, 1960。高岡高校生物クラブ顧問の 安部 武雄 への献名。富山湾雨晴(1958 年初記録)
- Coryphella abei(アベコザクラミノウミウシ)— Baba, 1987(原記載は Flabellina abei)。同じく安部武雄への献名で、模式産地は富山湾虻が島(1963 年初記録)
- Apata sp. 1(ウスキミノウミウシ)— 正式な学名献名はまだ付されていない(種は Apata 属の未記載種扱い)が、和名「ウスキ」は新潟大学教授・佐渡臨海実験所員として TBC の調査を長年支えた 臼杵 格(うすき・いたる)への呼称として TBC が採用しているもの
1971 年・能登半島姫 — Antonietta janthina の記載
数ある中部日本海産の新種記載のなかでも、TBC の調査範囲の広がりを示す代表例として Antonietta janthina(ムラサキミノウミウシ)を挙げておきたい。模式産地は 能登半島姫(ひめ、現石川県能登町姫地区)、初記録年は 1971 年で、記載は Baba & Hamatani, 1977。
馬場による戦前の九州・天草産種の記載や、戦後の相模湾産種の記載とは異なり、本種は馬場が直接採集した個体ではなく、TBC のメンバーが能登半島の磯で採集し、長年にわたって観察と記録を蓄積した個体群が基礎になっている。馬場・濱谷の関西の研究室と、TBC の北陸での観察ネットワークが結び付いた、共同研究の典型である。
TBC を構成した人々
TBC の活動を支えたのは、地元高岡を中心とする会員と、関西の馬場研、そして日本海側の各拠点の協力者だった。CD 図鑑第 2 版(2002)の編集後記では、当時の主要メンバーが以下のように記録されている:
- 編集担当 — 林 茂(はやし・しげる)
- 解説・写真・編集スタッフ — 泉 治夫、内島 宏和、岡田 巖、金子 栄子、瀬川 哲示、高橋 征五郎、長尾 晏昌
- 画像協力スタッフ — 大田 希生(水中カメラマン)、萩原 久、天野 厚助、高橋 繁応
- 指導・協力 — 馬場 菊太郎(大阪教育大学名誉教授)、濱谷 巖(元大阪教育大学付属高校教諭)、故 臼杵 格博士(元新潟大学教授、佐渡臨海実験所)
特に臼杵は、単著『佐渡を主とする新潟県沿岸の後鰓類相』(1969、佐渡博物館々報)や、TBC 編集長の林茂との共著『下越沿岸のウミウシについて』『新潟県産の後鰓類追加目録』(いずれも 1975、新潟県生物教育研究会誌 10 号)を残している。1999 年には佐渡臨海実験所での後鰓類全記録ポジフィルムを TBC に提供しており、CD 図鑑の佐渡関連画像はその寄贈に基づく。
関連機関の協力としては、高山 茂樹(魚津水族館学芸員)、那須田 樹(のとじま臨海公園水族館)、福島 広行(のと海洋ふれあいセンター)、福井県海浜自然センター、越前松島水族館などが画像や採集情報を提供している。中部日本海の臨海施設・水族館ネットワークと連動した観察体制が築かれていたことが分かる。
締め
第 2 版の編集中にあたる 2001 年 11 月、半世紀にわたって TBC を指導してきた馬場菊太郎博士が他界(享年 96)。馬場逝去のおよそ 1 年後に第 2 版が発行された経緯は、TBC が「馬場との半世紀」を自分たちの手で締めくくった作業でもあった。
事務局は現在も富山県高岡市に置かれているとされるが、機関誌『JANOLUS』の継続状況や 2010 年代以降の活動は把握しきれていない。当サイトでは引き続き、馬場・濱谷・TBC が築いた中部日本海ゆかりの種の情報を整理していく。
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