ウミウシ図鑑はなぜ「貝」からはじまるのか?
ウミウシ図鑑を「分類順」で開くと、最初に出てくるのは巻貝のミスガイやオオシイノミガイです。そのあとフシエラガイや裸鰓類が続き、ヒトエガイや頭楯類は後ろの方に来ます。この順番は何で決まっているのか。答えは、図鑑の分類順が「分類ツリー」を一列に並べ直したものだから、です。
分類ツリーとは「入れ子の箱」
生きものの分類は、箱の中に箱が入った入れ子構造になっています。大きな箱の中に中くらいの箱、その中に小さな箱、さらに細かい箱。ウミウシでいえば、綱という大箱の中に目があり、その中に科があり、属があり、いちばん内側に種がいます。
この入れ子は、進化の枝分かれをそのまま箱にしたものです。同じ箱に入っている=枝分かれが近い、というのが基本の考え方です。つまり分類の箱の入れ子は、生きものの系統樹(ツリー)と同じ形をしています。
図鑑の「分類順」は、この入れ子の箱を、いちばん外側の大箱から順に開いて、中の小箱、その中の種まで一列に書き出したものです。種が縦一列に並んで見えても、その裏側には箱の入れ子、つまりツリーがあります。分類順とは、ツリーを上から順に読んだ並びなのです。
当サイトが使っているツリー
当サイトの分類順は、Ponder, Lindberg & Ponder『Biology and Evolution of the Mollusca』(2020) が示した軟体動物の分類体系に沿っています。その体系の和名対応は、福田宏さんが「軟体動物の分類体系と和名の対応」(2021)で整理してくれました。
この体系では、ウミウシの大半が属する直神経区が、まず3つの大きな箱に分かれます。
本ではこの3つを、順に オオシイノミガイ形亜区・マメウラシマ側亜区・被側亜区 と呼んでいます。図鑑はこの3つの箱を、この順に開いていきます。だから最初の箱の中身、殻を持ったミスガイたちが、いちばん先頭に並びます。
箱を分けるのは「見た目」ではなく「血縁」
ここで大事なのは、箱を分ける基準が血のつながり(系統)の近さだということです。似た見た目で集めているわけではありません。そして見た目は、しばしばあてになりません。
いい例が、2つ目の箱にいるマメウラシマです。マメウラシマガイは殻長3mmほどの、どう見ても立派な巻貝で、①のオオシイノミガイとそっくりの姿をしています。ところが DNA と形態をくわしく調べると、マメウラシマは①の仲間ではありませんでした。裸鰓類(ウミウシ)のいちばん近い親戚だったのです(Kano et al. 2016、Brenzinger et al. 2021 で確認)。だから巻貝の姿でも、裸鰓類と同じ2つ目の箱に入ります。
立派な殻を持つマメウラシマが裸鰓類の親戚だと分かったことは、おもしろい裏も持っています。裸鰓類のような殻のないウミウシも、もとは殻を持つ祖先から出てきた、という見方を支える材料になるのです(平野・福田 2026)。
なぜ「貝」で始まるのか
では、なぜ図鑑は殻を持つオオシイノミガイ形亜区(①)から始まるのか。「巻貝に見えるものが先に来る」からではありません。それならマメウラシマも先頭にいるはずですが、②にいます。
理由は、典拠の体系が①の箱を直神経区の早い枝分かれとして先頭に置いていて、その箱がたまたま殻を持つ群だった、というだけです。しかも、そのいちばん深い分岐の順が、まだ決着していません。分子データの解析方法を変えると樹形が変わり、ある解析では、いちばん後ろに置かれている被側亜区(ヒトエガイ・頭楯などを含む箱)こそが最初に分かれた枝だという結果さえ出ます(支持は弱いものの)。「後ろ=あとから分かれた」とは限らないのです。
並び順は「進化の梯子」ではない
頭楯類が後ろに来るのも、頭楯が「進化が進んでいる」からではありません。いちばん分かりやすい証拠は、殻を完全に失った裸鰓類が、殻を持つヒトエガイや頭楯類より前に並んでいることです。「後ろほど進化して殻が消える」なら逆の順になるはずです。並び順は、枝分かれの順とも、進化の進み具合とも、殻のあるなしとも一致しません。別の分類体系を典拠にすれば、順番が変わることもあります。
ツリーは描き直される
分類ツリーは、研究が進むと描き直されます。いまの形に組み替えた立役者は DNA でした。1990年代から腹足類の分子系統解析が進み、かつて殻を失ったなかまを一括りにしていた「後鰓類」が、自然なまとまりではないと分かったのです。
DNA は、形からは思いつかない関係も見つけました。葉緑体を体に取り込む嚢舌類(コノハミドリガイの仲間)やスナウミウシ類は、ほかのウミウシよりも、むしろ陸のカタツムリに近い。殻の形をいくら見ても出てこない結びつきです。
こうして後鰓類という箱は解体され、いまの大きな枝に組み替わりました。ここまでは DNA がはっきり決めています。
決まっていないのは、前の節で見た「いちばん深い3つの分岐の順」だけです。これらの枝はあまりに古く、短い間に立て続けに分かれたため、順番を記録する変異がほとんど残っていません。グループ自体は確かでも、最も古い分かれ順だけは、DNA をもってしても支持が弱いのです。
図鑑の並び順も、典拠とする体系が更新されれば変わります。書籍が示すツリーは、その時点での最良の見取り図です。この組み替えは、平野弥生・福田宏「ウミウシの進化と系統分類」(『遺伝』2026年7月号 特集)が日本語でわかりやすく解説しています。「ウミウシ」という呼び名が指す範囲がこの130年でどう動いてきたかは、別記事 ウミウシとは — 9 目から 12 分類群へ にまとめました。
まとめ
図鑑の分類順は、分類ツリー(入れ子の箱)を上から読んだ並びです。箱を分けるのは血のつながりで、見た目ではありません。先頭が貝なのは、最初に置かれた箱がたまたま殻を持つ群だから。頭楯が後ろなのも、進化の梯子ではありません。次に図鑑をスクロールするときは、種が一列に見えても、その裏に箱の入れ子(ツリー)があると思って眺めてみてください。
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