ウミウシをDNAで同定するってどういうこと? COI・16S・H3でわかること、わからないこと
最近のウミウシ図鑑や新種記載の論文を読んでいると、「DNA解析の結果、別種であることが判明した」「遺伝的にこの種に最も近い」といった一文によく出会います。近く沖縄から刊行される「DNA解析による最新の分類図鑑」も、まさにこの DNA 解析を前面に掲げた一冊です。では、その「DNA解析」は実際に何を見て、何を根拠に「別種」「同種」と言っているのでしょうか。
この記事では、ウミウシの分子同定でほぼ必ず登場する 3 つの遺伝子 COI・16S・H3 が、それぞれ何のために使われ、何までわかって、何がわからないのかを、ダイバー・愛好家の目線で整理します。専門用語は最小限にしますが、ここを押さえておくと、論文や図鑑の「DNA解析で〜」という一文の中身まで読み取れるようになります。
見た目では見分けられない「隠蔽種」
ウミウシは色や形が派手で、写真同定が効きやすいグループに見えます。実際、多くの種は背面の模様や触角の形で見分けがつきます。
ところが、ここ 20 年ほどの研究で、長いあいだ「1 つの種」あるいは「同じ種の色違い・個体差」として扱われてきたものが、DNA で見るとはっきり別種に分かれる、というケースが次々と見つかってきました。形態だけでは見分けられず 1 つの種にまとめられていた、こうした別種を 隠蔽種 と呼びます。
その一例が、コガネミノウミウシ の仲間です。長くひとまとめに扱われてきましたが、DNA で見ると Hantazuia yugoikedai、Hantazuia kimotoi など複数の種に分かれ、COI の差は種どうしで 12% を超えます。別種として十分に大きい値です。それでも見た目はよく似ていて、写真だけで種を同定するのは簡単ではありません。
つまり、目で見える特徴と、生き物としての種の境界は、いつも一致するとは限らない。この食い違いを外から確かめる道具のひとつが、遺伝子配列の比較です。
COI・16S・H3、3 つの遺伝子の役割分担
ウミウシの分子同定では、たいてい次の 3 つの遺伝子の一部を読み取って比べます。それぞれ「進化の速さ」と「どこにある遺伝子か」が違い、役割が分かれています。
| 遺伝子 | どこにある | 進化の速さ | 主に効く距離感 |
|---|---|---|---|
| COI | ミトコンドリア | 速い | 種と種を見分ける |
| 16S | ミトコンドリア | 中くらい | 種〜属まわりを補強 |
| H3 | 核 | 遅い | 属・科という大きな枠組み |
- COI(シーオーアイ)は、動物の「DNAバーコード」として世界共通で使われている定番です。進化が速く、近い種どうしでも差が出やすいので、「この 2 個体は同じ種か、別の種か」を見るのに向いています。
- 16S(じゅうろくエス)は、COI と同じミトコンドリアにありますが、もう少し変化がゆっくりです。配列を並べて比べる(アラインメント)ときに安定しやすく、COI の相棒として一緒に使われます。
- H3(エイチスリー)は、ヒストンというタンパク質の遺伝子で、唯一 核 にあります。変化がとても遅いので、種の細かい見分けには向きませんが、属や科といった大きな枠組みを支える背骨として使われます。
数字や速さよりも、「COI と 16S はミトコンドリア、H3 は核」という置き場所の違いだけ、まず覚えてください。次の節で効いてきます。
ミトコンドリアの遺伝子は「ひとつながり」
「COI だけ速くて種が見分けられるなら、それ 1 本で十分では?」と思うかもしれません。実際、現場の暫定同定では COI だけのこともよくあります。ですが、論文がきちんと結論を出すときには複数の遺伝子を併用します。理由は、ミトコンドリアという場所の性質にあります。
ミトコンドリアの遺伝子は、母親からだけ受け継がれ、組み換わらずに丸ごと一括で子に渡ります。COI と 16S は同じミトコンドリアにある以上、別々の証拠ではなく、ひとつながりの 1 票なのです。だから、たとえば過去の交雑で近縁種のミトコンドリアだけが入り込む、といったことが起きると(一般に動物で知られる現象です)、COI も 16S も揃って「別系統に見える」方向に引きずられます。2 本あっても、同じ嘘を一緒についてしまうわけです。
そこで効くのが、核にある H3 です。核の遺伝子は父方・母方の両方から受け継がれ、ミトコンドリアとは独立に伝わります。ミトコンドリアが「別系統」と言っているときに、核の H3 も同じ絵を描くのか、それとも食い違うのか。その一致・不一致が、そのまま手がかりになります。一致すれば結論は固くなり、食い違えば「交雑や乗っ取りが裏にあるかもしれない」と慎重になれる。複数の遺伝子を使うのは、別々の独立した証人を立てるためです。
「別物だとわかる」と「名前がつく」は別の話
ここが、いちばん誤解されやすいところです。
DNA で 2 個体を比べて「これは別系統だ」と言うのは、比較的はっきりできます。距離を測れば差は数字で出るからです。けれど、「ではこの個体は 何という名前の種 なのか」を決めるのは、まったく別の作業です。
種の学名は、その種を最初に記載した論文で指定された 1 個体、すなわち タイプ標本(基準となる標本)に固定されています。新しく系統が分かれて見えても、既存の学名がどの系統を指すのかは、このタイプ標本まで遡らないと決まりません。
この壁にはっきりぶつかっているのが、ダイバーにおなじみの ムカデミノウミウシ です。最もありふれたウミウシの一つで、長らく 1 種、学名 Pteraeolidia ianthina として扱われてきました。ところが DNA を読むと、この名前の下に複数の系統が含まれていることがわかってきました。オーストラリア・シドニー近海の個体こそが本来の Pteraeolidia ianthina で、それ以外には、いったん無効になっていた旧学名 Pteraeolidia semperi を当て直すべきだと整理されています。
そして、その Pteraeolidia semperi 自体も、日本近海だけで和名の ムカデミノウミウシ と オオムカデミノウミウシ の 2 種を含む 種複合体 です。学名はまだ整理されておらず、どちらもいまは Pteraeolidia semperi に含めて扱われ、別々の名前はついていません。世界全体で見れば、まだ名前のない系統がほかにもいる可能性があります。
下の写真は、「ムカデミノウミウシ」として記録されてきた、この複合体の個体です。
では、なぜきちんと別々の学名がつかないのでしょうか。各系統が、過去に記載された名前のタイプ標本のどれに当たるのかをまず確定し、そのうえで形態や生態まで含めて記載しなければならないからです。Pteraeolidia semperi のタイプはフィリピン産で、日本で見られる系統がそれと一致するとは限りません。どの系統がどの既存名を継ぎ、どれに新しい名前が要るのかは、まだ決まっていないのです。
しかも、古い時代に記載された種ほど、タイプ標本から DNA が読めなかったり、そもそもどの個体・どの産地のものか曖昧だったりします。すると、DNA で系統がいくらはっきり分かれて見えても、既存の名前をどの系統に貼るかが確定できず、記載が前に進みません。「別系統だとわかる」ことと「名前がつく」ことのあいだには、こういう距離があるのです。
だから DNA 同定の正しい順番は、まず基準点(タイプや原産地の個体)で既存の名前を固定し、そこからの距離で手元の個体を位置づける、という向きになります。名前の参照点を確かめないまま「DNA的に新種」と先走るのは、順序が逆さまなのです。
「BLASTで○○に99%一致」の読み方
配列を手に入れると、まず GenBank という公開データベースに照らして「いちばん似ている登録配列」を探します(この検索を BLAST と呼びます)。SNS や記事で「BLAST の結果、○○に 99% 一致」という表現を見たことがあるかもしれません。
ここで一段、立ち止まる必要があります。BLAST が返すのは「あなたの配列に最も似た、誰かが登録した配列」であって、「正しい種名」ではありません。 登録した人が貼ったラベルが、そのまま正しいとは限らないからです。実際、公開データベースには取り違えや誤同定のラベルが一定の割合で混ざっています。基準となるはずの参照配列のラベル自体が間違っていれば、それに 99% 一致しても、行き着く名前は間違ったままです。
ですから「BLAST のトップヒットが X で 99%」は、「X というラベルの登録配列に近い」という事実であって、「この個体は X だ」という結論とは、ひとまず分けて読むのが安全です。
では、実際にどこまで分かるのか
ここまでが、DNA 同定の「読み方」の地図です。COI で見分け、H3 で裏を取り、タイプで名前を固定し、データベースのラベルを鵜呑みにしない。
ただ、実際の個体にこの地図を当てると、毎回きれいに答えが出るわけではありません。種内と種間の差がきれいな谷で分かれず、判断が宙づりになる「グレーゾーン」もあります。距離は測れたのに、肝心の参照配列が公開されていなくて照合が閉じないこともあります。1 つの名前の中に、実は複数の系統が隠れていることもあります。そして、どの遺伝子でも形態でも、まだ枠組みごと決まらないグループもあります。
このサイトで実際に手元の配列を測ってきた中から、そうした「どこまで分かって、どこから分からないのか」の具体例を、続編で 1 ケースずつ、具体的な個体と写真で取り上げていく予定です。
そして、これらの土台の上で、近く沖縄から刊行される「DNA解析による最新の分類図鑑」を、刊行に合わせて 1 冊のレビューとして読んでいく予定です。
おわりに
「DNA 解析」と一口に言っても、得意なことと苦手なことははっきり分かれています。2 個体が別系統だと示すのは比較的たやすい。けれど、その系統に正しい名前を与えるには、タイプ標本まで遡る別の作業が要ります。
この線引きが頭にあると、論文や図鑑の「DNA で判明した」という一文を、どこまでが確かでどこからが保留なのか、落ち着いて読み分けられます。
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